こんにちは、LUNAです。
義母は2011年に83歳で亡くなっています。アルツハイマー型認知症と診断されて8年目のことでした。
生まれつきの心臓の持病、糖尿病、骨粗しょう症による繰り返される圧迫骨折、そしてアルツハイマー型認知症。と多くの病気を患っていました。
認知症診断テストを受ける親の気持ち
病院で認知症の診断を受ける事、介護認定の手続きをとること、介護サービスを導入すること。
一つ一つクリアしていったのですが、当時はすべてのプロセスで義父の理解・協力を得ることに時間と労力を要しました。苦労しました。
「認知症」と診断されることを恐れてか、「年を取ったら、誰だって物忘れくらいするもんだ」「LUNAちゃんは、大げさに騒ぎすぎる」と義父には何度も不愉快な顔で言われました。
夫には「人の親をボケ老人扱いするなんて君はひどい」と言われました。
義母の妹たちからは無言の圧力で「あなたは自分がお世話をするのが嫌なのね」と言われているように感じました。
ポイント アルツハイマー型認知症は正しい診断を受けて薬の投与を始めると進行を緩やかにすることが出来ます。
私の場合、義母がおかしいと感じてから受診させるまでに夫の説得に一年、夫婦で父の説得に二年を費やしてしまいました。
診断結果の説明を受けた時に先生から「どうして、もっと早く連れて来なかった」「画像で見る限り数年前に発症し、症状は出ていたはずです」と言われました。同席していた義父と夫はその言葉を聞いてうなだれていました。後悔先に立たずです。
私は血のつながらない赤の他人だから、よい意味で義母の様子をクールに客観的に見ることができたと思います。
伴侶、子供、兄弟姉妹と関係性が密なほど、愛するがゆえに事実を認めたくないという人間心理が強く働いてしまいます。
私にとって大きな救いはほかならぬ義母その人でした。元気な頃から義母はいつもニコニコして、人の悪口は一切言わない、息子二人の母なので嫁の私を娘のように可愛がってくれる人でした。
高齢だから安心のために物忘れのテストを受けてほしいと話した時も「LUNAちゃんがそう言うなら受けた方がいいのよね」と素直に受け入れてくれました。
後からケアマネージャーさんや認知症外来の看護師さんからこんなお話を聞きました。
何とか説得して病院まで親御さんを連れてきたのに「精神科」「認知症外来」「物忘れ外来」の案内板を見た途端、
「私はボケてなんかいません!」
「なんで私をこんな所に連れてきたんだ!」
と大立ち回りを繰り広げられる方、取り乱して泣き叫ぶ方。それは決して珍しい光景ではないそうです。
そういう状態では認知症診断テストを受けることは難しいので、病院に行った事は徒労に終わってしまいます。
当事者の尊厳、プライドを保つ方法はお一人お一人で違うと思います。特に高齢者は心が頑なになる傾向が強いと思います。ご家族で最良の方法をよくよく話し合いをなさってください。
義母が認知症診断テストを受けた頃は「物忘れ外来」なんて優しい言葉はありませんでした。アルツハイマー型認知症の権威がおられる病院を受診しましたが、診療科名は「精神科」でした。
診察の順番を待っている時に義母がポツリと「せ・い・し・ん・か?LUNAちゃん、私は頭がおかしいの?」と聞いてきました。
涙がこぼれそうになりましたが「違うわよ。ほら、お母さんは最近、物忘れするじゃない。念のため、先生に診てもらいましょうって、話したでしょう?」と。
義母はこっくりと頷いてそれ以上、聞き返してはきませんでした。その時のあきらめにも似た義母の表情は初めて見るせつないものでした。
この頃の母はまだらボケ状態でした。すべての事が分からなくなっていたのではありません。何かを察して悲しい気持ちにさせてしまったと思います。
でもね、これはお母さんのためだからね。そう、自分に言い聞かせる私がいました。
診断を受けて終わりではありません。いよいよ本人と家族の介護生活が始まります。
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